大湊・芦崎ジオサイト

天然の良港として明治以降に脚光を浴びた大湊・芦崎。縄文時代(約4300年前)に出来たとされる海岸と平行に伸びる砂(さ)嘴(し)は、どのように形成されたのでしょう。

これだけの陸地を作り上げるのに必要な土砂は一体どこからやってきたのか、そして芦崎が大湊にもたらした文化と繁栄を体感できるジオサイトです。


芦崎・砂嘴

芦崎の砂嘴は、釜臥山や周辺の崖を川海の水に削られた物が溜まってできました。陸奥湾を反時計回りに回る流れと沿岸流の合流で砂嘴の先端部は、むつ市側に巻き込んだ形をしています。砂嘴の地下には、約4300年前の「泥炭」が見つかっていることから、形成は完新世の中頃以降も続いていたと考えられます。

釜臥山

釜臥山は恐山火山群の一つで、約70万年前の噴火によって形成されました。斜面は雨水によって削られ、山裾に広がり緩やかな傾斜地となりました。この斜面には釜臥山スキー場があり、「海を望むスキー場」として知られています。また、この緩斜面の存在が軍事防衛上好ましかったことも海軍基地が置かれた理由となっています。

大湊海軍

大湊に海軍の港が置かれたのは、芦崎に囲まれた穏やかな港であり、背後の釜臥山と裾野の土地が軍事防衛上好ましいとされたことによります。釜臥山の恵みである渓水・湧水が豊富であり、水源確保のためアーチ式の堰堤や沈澄池が建設されました。終戦後から昭和51年まではむつ市の水道施設として使われ、現在では水源池公園として整備されています。