下北ジオパークとは?

 下北ジオパークの最大の特徴は、四方を海に取り囲まれていることです。まるで「島」を想像させるフレーズですが、「島」との大きな違いは取り囲んでいる海の多様性にあります。

 日本地図においてもひときわ目を引く「まさかり」形をした本州の最北端、青森県の北東端、下北半島の北部に位置する下北地域は、「恐山」や「仏ヶ浦」など全国的に知られる景勝地が存在することのほか、太平洋、陸奥湾、津軽海峡と特徴が全く異なる海に接していることで、それぞれの海に特徴づけられた生活環境が発達した地域です。

 つまり、どの場所にいても容易に「海」を望むことができるが、東と西、南と北では望む海の呼び名も、特性も、魚介類までも異なることから、それぞれの海の特性に応じた独自の文化や風習、生活様式が根付いている地域といえます。

 対馬暖流の影響を強く受ける陸奥湾は、高緯度地域にもかかわらず温暖な海域の海洋生物が生育し、寒流・親潮の影響を受ける太平洋沿岸は、ウニやコンブといった磯根資源の生育に適した環境となっています。そして暖流と寒流の双方から影響を受ける津軽海峡は、速い流れと深い海底地形とも相まって豊かな海産資源に恵まれた海です。

 また、海は豊かな海産物だけでなく、この地に文化ももたらした存在である。江戸期に発達した北前船は、下北地域だけでも8箇所以上の停泊港を生みだし、それぞれの地に上方由来の文化を運んできました。

 この文化は半島ならではの「閉鎖性」と京や大坂、江戸から遠く離れている「地理条件」から、地域外に出ることも、新しい文化と合体することもなく、当時の姿のまま、現在まで守り継がれていることも下北地域の特徴です。

 閉鎖性がもたらすものとして「地域内の一体感」がある。下北地域は今も昔も、同じ下北というアイデンティティでつながることで、強い連帯性を有しており、それは下北の中心に位置する恐山に対する強い信仰心をも育みました。

 「死ねば恐山(おやま)に行く」

恐山が開山した貞観4年(862年)から始まる恐山信仰は、平成を迎える今日に至っても変わることなく語り継がれ、下北人の心に刻み続けられています。

 海とともに生き、海からもたらされた文化を子々孫々、守り継ぐ。下北に住む人々の生活や文化、そして信仰心こそが下北ジオパークの持つ最大の見どころといえます。